沿革
助け合いの心から生まれた――交通共済です。
交通共済のなりたち
第2次高度成長期と呼ばれた昭和40年代、我が国のモータリゼーションは、進化と発展を遂げ、自動車は急速に普及しました。
しかし、その一方で、多くの交通事故が発生し、大きな社会問題ともなりました。交通事故の被害者への賠償額は高額化が進み、自賠責(強制保険)保険だけで十分な賠償を行うことは出来なくなりつつありました。こうして、自動車損害賠償保険(任意保険)への加入は必須となっていきました。

ところが、ダンプカーが「走る凶器」と呼ばれ、多発する交通事故の元凶と批判を浴びると、当時の損保業界は、ハイリスクを理由にダンプだけでなくトラック全般にわたって割増保険料や契約拒否などのペナルティを課すようになり、多くの運送事業者は悩まされることとなりました。
そんな中、昭和45年(1970)大阪で万国博覧会が開催されることが決まりました。万博で外国人観光客が多数来日するなか、もしも交通事故が発生すれば高額な賠償が懸念されます。大阪府トラック協会は、万一の際に、同業者同士が助け合うことを目的に「万国博外国人交通事故賠償共済会」を発足させました。これが発端となって、同年8月に全国で初となる交通共済「大阪府交通共済協同組合」が生まれました。
その後、各地区で交通共済が設立され、15の交通共済が誕生し、全国団体「全国トラック交通共済協同組合連合会(略称:交協連)」のもと、交通共済は広く定着することとなりました。現在、事業エリアは沖縄県を除く全国をカバーしています。
関交協の設立
関東地区では、東京都トラック協会が昭和45年12月に設立委員会を発足させて準備をすすめ、翌46年5月、関交協の前身である東京都自動車交通共済協同組合を設立し、対人賠償共済を開始しました。
設立当初は、東京都のみを事業エリアとしておりましたが、その後、埼玉、栃木、山梨、千葉、茨城、群馬の6県にエリアを拡張。昭和48年、名称を東京自動車交通共済協同組合としました。また、平成に入ると事業種目に対物共済、車両共済、搭乗者共済を追加。示談代行などのサービスの拡充も行っています。
そして、創立30周年となった平成13年(2001年)、強制保険である自賠責共済事業を開始するとともに、組合の名称を関東交通共済協同組合(略称:関交協)に改称。現在、創立41周年を迎え、安定した事業運営を継続的に行っています。
年表
| 昭和45年(1970)12月 | (社)東京都トラック協会理事会で交通共済協同組合設立のための準備委員会設置を決定、発足。 |
|---|---|
| 昭和46年(1971)2月 | 設立準備委員会(起草委員会)発足 |
| 5月 | 創立総会 定款・規約・約款・事業計画および予算、 事務所の設置、設立認可申請等を承認、決定するとともに、越智喜三郎理事長以下の役員を選出。 |
| 5月 | 「東京都自動車交通共済協同組合」設立認可 |
| 6月 | 業務開始 東京都のみを事業地区として、対人共済契約の引き受けを開始。 |
| 昭和47年(1972)1月 | 対人契約1万両超える |
| 5月 | 第1回通常総代会を開催 |
| 7月 | 「全国トラック交通共済協同組合連合会(交協連)」設立 |
| 昭和48年 (1973) 3月 | 事業地区に埼玉、栃木、山梨の3県を加え、名称を「東京自動車交通共済協同組合」に改称。 |
| 昭和49年 (1974) 2月 | 事業地区に千葉、茨城、群馬が加わる。 |
| 昭和51年(1976)5月 | 創立5周年記念式典を挙行。 |
| 昭和56年(1981)5月 | 第10回通常総代会。役員改選で鈴木元徳氏が2代目理事長に就任。 |
| 昭和62年(1987)11月 | 事務所を新宿区四谷から同区愛住町へ移転。 |
| 平成1年 (1989)9月 | 中小企業庁長官表彰を受ける |
| 平成3年 (1991)7月 | 対物共済・車両共済を発売 |
| 平成5年 (1993)7月 | 搭乗者傷害共済を発売 |
| 平成9年 (1997)5月 | 第76理事会で3代目理事長に浅井時郎氏を選出 |
| 平成11年(1999)6月 | 事務所を新宿区愛住町から西新宿に移転 |
| 平成13年(2001)3月 | 自賠責共済事業の実施が認可される |
| 6月 | 創立30周年記念式典を挙行 |
| 7月 | 名称を「関東交通共済協同組合」に改称 |
| 平成22年(2010)9月 | コンプライアンス方針等の策定、リスク管理基本方針を策定 |
| 平成23年(2011)3月 | 東日本大震災に鑑み、創立40周年記念行事を中止 |
| 平成24年(2012)5月 | 第41通常総代会。役員改選で大一夫氏が4代目理事長に就任 |
